約10年ぶりにジャニオタとなったアラサーがはてブを始めたくなった話①

数年前、Twitter

「思春期にジャニオタを経験した人は、アラサーになった頃再びジャニオタに戻りがち」

というツイートを見た。


その頃のわたしはオタ卒し数年経ち、大量にあったグッズもほとんど処分してしまった後で、
「もうジャニオタになんか戻らないっしょ(笑)そんなことあるわけないわ(笑)」
なんて思っていた。まじで。


時が流れてアラサーとなり、件のツイートの通りの状況となった今、あの頃処分したコンサートDVDに幼き頃の現自担が登場していたと知り、過去の自分を懇々と説得及び説教したい気持ちしかない。

なんならちょっと泣きたい。



そんなわたしの、はてブを作ろうと思ったところまでの話。

誰にも需要がないのは分かっているんだけど、自分用の記録として自己満で書いていきます。

たぶん死ぬほど長いです。







・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






わたしが人生で初めて出会ったアイドルは「手越祐也」だった。


もちろんそれまでにキンキとかV6とか嵐とか、ジャニーズのいろんなグループをテレビで見てかっこいいなと思ったりしてはいたけど、テレビの人〜という漠然としたイメージだった。


当時12才だったわたしは、自宅でバレーボール中継を見ていた。

毎回ジャニーズがサポーターをやっていた例のアレである。

何気なく見ていた中で、アナウンサーが紹介していたNEWSというグループの端っこにいた彼が画面に写った瞬間、
『アイドルだ!!!』と思った。


なぜすでにアイドル完成度100%だったセンターの山Pでなく、9人中誰がどう見てもいちばん芋臭かった彼に目を惹かれたのかは今でも謎である。


一目惚れという表現が正しいかはわからないけど、その瞬間からわたしはジャニオタになった。

今みたいにネットでなんでも分かる時代じゃなかったから、テレビラジオ雑誌をくまなくチェックして、お小遣いやバイト代はCDやグッズ、写真に消えて、コンサートや舞台も見に行った。


いろんなグループを知る中でKAT-TUNにも沼ったけど、ガチガチの手越担なのはずっと揺るがなかった。


ファンサとは無縁にも関わらず、実物を肉眼で見る度に

「ゅぅにゃんまぢカッコイィ💗目が合った気がするどぅしよぅ💗わたしの王子様💗出会ぇてよかっただーぃすち💗ワラ」

mixiブログに書いてたの、今思い出すとだいぶしにたい。



いちばんの思い出は、活動再開したツアーの東京ドーム追加公演。

6人でステージに立つ姿を見て、泣き出したメンバーを見て、またNEWSが活動すること、応援できることが嬉しくて嬉しくて、座席から立てなくなるくらいわんわん泣いたのを覚えている。



そんなこんなで当時から超盲目自担主義なオタクだったわたしがオタ卒したのは、2011年秋。

NEWSが4人になると発表された時だった。


一瞬で冷めた。
本当に信じられないくらい一瞬で冷めたし覚めた。


これから6人でやっていく!って姿を見て、メンバーもファンも泣いて泣いて、本当によかったねってなって、そこから約3年半で4人になるってマ???どゆこと???わっつどぅーゆーみーん???だった。


抜ける2人が悪いとかそういうことではなく、応援したくないとかでもなく、嫌いになったとかでもなく、わたしには受け止められなかった。
あの時の感動が否定されてしまった気がして、大好きだったはずの自担への気持ちも途切れてしまった。


オタ友の中では応援し続ける子が多かったし、なんでオタク辞めちゃうの?って否定されたりもした中で、うまく言葉で表せないけれど、
『わたしのオタク人生はここで卒業だな』と思った。


離れたから良い悪いとかじゃなくて、オタク生活ってその人なりの終わるタイミングがあるんだなって、ゅぅにゃんから学びました。

『ゅ』とか『ぅ』とか小文字にするのも卒業しました。(遅い)


その後は、たまにテレビで見かけると、あー懐かしいなーって思ったりしてたくらい。
今の彼については特に言うことがないです(いろんな意味で)


あくまでもわたしの話であって、こういう人もいたよってことで捉えてもらえるとありがたいです。




後日談だけれど、あまりの引き際のよさに、盲目オタクっぷりを知っていた友人や家族は、本気で脳の病気にでもなったんじゃないかと心配していたらしい。

それを聞いた時は申し訳ないと思ったのと同時に、わたしどんなやつだと思われてたの…?と不安になった。闇。







・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






こうしてあっさりオタ卒した約10年後、またジャニオタになるわけだけど、案の定長くなってしまったので続きはまた書きます。